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2012年 03月 21日
最初はキョトンとしていた。 大きな目を開け必死に頭の中を整理しているようだった。 僕が知らない娘の表情だった。 しかし彼女はすぐにその表情を笑い顔に変えていった。 彼女は満面の笑みで僕のところに走ってきた。 両手を上げて僕のところに走ってきた。 忘れてなかった。 僕は久しぶりに娘を抱きかかえる。 泣きながら妻も寄り添った。 長崎駅のデニーズの前で、 僕ら3人はドラマのワンシーンをやってしまった。 恥も外聞もない。でもそんなこと、どうでもよかった。 列車の時間が来るまでの間、 僕らは駅ビルの中をまわった。 デニーズでお茶をした。 話をたくさんした。 おむつを替えた。 そして切符を買って列車に乗った。 まだまだ話があった。 列車を降り、3人で歩いて帰った。 風呂に入った。 頭と体を洗ってやり、着換えさせた。 部屋に帰って髪をとかしてやった。 そして一緒にご飯を食べた。 日常が帰ってきた。 疎開先ではたくさんの母子、夫子疎開者が 共同生活をしている。 こんなことがなかったら 決して経験することがなかったかもしれない生活。 のぞんだことではないけれど、 妻と娘には貴重な経験かもしれないと思うと それだけでもほっともする。 そしてなにより ここは安全だという気持ちが 何より僕を落ち着かせてくれた。 たくさんの仲間がいることも大きい。 新しい日常。 娘が先に歩いて 僕をすぐ下の公園に連れていく。 たまに振り向き僕を促す。 彼女は滑り台がお気に入りになっていた。 僕とうちの近くの公園の滑り台で遊んだのは、 3月6日だったかな。 去年の。 彼女は僕の知らない滑り台に連れてきてくれた。 怖くて一人では滑れないくせに 何度も階段を上り滑る。 そっと僕に向かって手を出し 僕の手を借りながら。 怖がってたのにと、 妻は不思議がり、そして嫉妬する。 ごめんね、お母ちゃん。 彼女は何回も何回も階段を上り、滑る。 声を上げ、すたすた走って滑り台の階段に向かっていく。 また手を出し、ぼくの2,3本の指を握り滑る。 いつまでも続けられないことを知っている僕は とっても楽しかったけど、 とっても辛かった。 まんまの時間だよ、帰ろうよと言うと 彼女は首を横に振る。 そして階段に向かってまた走る。 終わらせたくない滑り台を また滑らせて聞いてみた。 そろそろ終わりにしようよ。 彼女は無視をした後 また首を振る。 やめたくないと。 本当はおとうちゃんもだよと、 僕は腹の奥で言っていた。 僕はあの公園が 好きなのか嫌いなのか分からないでいる。 僕は3日間、ゆっくり過ごすことに勤めた。 無駄な抵抗だと分かってはいたけれど。 あっという間だった。 辛いのは、 次の予定が決まってないこと。 僕らをつないでいたチケットももう使い切ってしまった。 決まっているのは 疎開先が4月いっぱいまでということだけ。 次会うのがいつなのか、 どこで会うのか、 何も決まっていない。 こんな辛いことは ない。 3月の僕の仕事はほぼやり遂げた。 金の心配はたっぷりと残るが、 逆に言えば 金の心配だけしていればいい 状況になってきた。 僕は次のことを考えなければならない。 次のことを考えなければ、 娘になかなか会えないのだから、 これはもう必死だ。 次に進む。 進まないと。 長崎~佐世保間を走る大村線の千綿駅は 大村湾に面した所にある 素晴らしい景色の駅です。 ここで僕ら家族は 三度お別れをしてきた。 でもこれは前に進むための別れ。 妻はべそをかき、 娘は怪訝な顔を崩さなかったけれど、 僕は頑張ってねと二人のおでこをペンペンと張ってやった。 僕も我慢はしなかった。 列車の中から僕は おおべそをかきながら 妻には頑張れと 娘にはごめんねとつぶやいた。 娘はまたキョトンとした顔をした。 次回に続く。 ![]()
by yanetuki
| 2012-03-21 22:40
| 我が家のギリギリ疎開計画
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