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2014年 04月 24日
おはようございます。 全く光明は僕には見えていませんがただ一つ捨てずにいられる気持ちがあります。それはただでは起きないという事です。 ▲
by yanetuki
| 2014-04-24 12:56
| 我が家のギリギリ疎開計画
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2014年 04月 13日
おはようございます。
ここ数日ひたすら部屋のものを精査しております。 パソコンは廃棄するのが面倒なことを改めて実感しました。むしろ、データ保護のため捨てずにいた方が賢明かなとも考えています。粗大ごみシールを2枚買います。燃えるゴミと燃えないゴミの振り分けをし直します。 燃えるゴミは週2回回収がありますのでドンドン燃えるゴミは作っていかなくてはいけません。差当りの僕の仕事です。 今日は、きのうカラーボックスと仕事用書類の小引き出しを持って行ったリサイクルショップの人に家に来てもらおうと思ってます。少しずつですが、物に反射される度合いが減った音が部屋の壁にじかに当たり本来の響きを出しつつあります。 ドラッグストアできのう段ボールをもらってきました。尋ねたらどうぞどうぞむしろ助かりますと妙に歓迎されました。郵送用にするための箱をあと4っつくらいはもらいに行こうと思います。 扉が壊れた大きなテレビ台はリサイクル屋さんに見てもらってから解体作業に移りたいと思います。 人の評価の為にタイミングを計るのではないのですが、この決断が、-とはいってもすべてが流動的なのですがーはたして良かったのか悪かったのか、娘の為になっているか、また僕の過信が後押ししてないか、吟味の能力に、本人である僕は少々欠けます。 言い訳星からあなたは来たと言われればすごく納得してしまうのですけれど。 この3年間服は玄関で脱ぎ娘には必ずマスクをさせ一度も河原や公園では遊ばせず土を触ろうとすれば叱り避ける空気と感じる空気を交互に味わい作り笑いをし家で何度となく泣いた。考えたら、そんな環境の中で商売がうまくいく筈もないと、インチキな占い師でも言うかもしれないな。 そういう風についつい考えてしまいます。 特に商売というのは、自分で商うものには、当然と言えば当然なのですが自分が出ます。 人とのつながり方はお客さんとのつながり方そのもので同業者、ライバル業者とのつながり方そのものでもあります。生まれ持ったもので戦うのは戦略とは呼ばず、呼ぶのであればそこはビジネスライクでないといけない。 そしてそういう割り切りができないから僕は自由を選び自由を強要され自由が不自由であることを体感して知っている、そのはずだったのに自分でそれを忘れていたかもしれない。 でもそれにはチャレンジという素晴らしい言葉をつけてくれる人がいることも僕は知っている。 僕は十分長い時間生きた大人なのでね(笑)。 前向きと後ろ向きは交互に現れる。歩くのに似ている。 “人間は考える足である”と書いて中学の時に先生に直されたがあながち間違いではないと今も思っている。 歩の進め方は思考の進め方に似ていると思いませんか? 矛盾を責める支離滅裂な人がたまにいるのだけれど、散歩に出たらすぐに彼は笑ってくれるだろうになと、いつも歯痒い。 事務的に行きたい。いや、書きたい、そう考えております。 昨日今日の動きを簡単に書きました。 またおいおい綴っていきたいと思っています。 次回に続く。 ▲
by yanetuki
| 2014-04-13 08:24
| 我が家のギリギリ疎開計画
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2014年 04月 03日
笑っちゃうくらいに仕事がなくなりました。こんなこと書きたくはありませんがありとあらゆる手段使って娘守んないといけません。もうどうでも構いません。僕もそれなりの手は打っていますが間に合うかどうか。先もどうなるか全くわかりません。久々に味わう恐怖です。藁をつかむ心境です。スイマセン。自分でまいた種は自分で刈り取りますがイマイチ解せない面もあることはあります。311がなければまだマシだったと思ってます。それまでは自分なりに計算できていました。311以降計算が出来なくなっていました。何とか誤魔化してきましたがいよいよという感じです。重ねてスイマセン。目障りであれば友達解除ご遠慮なくお願いいたします。ほんとにお願いします。発散の目的で書いている部分がありますので、目障りであれば恐縮ですが解除お願い申し上げます。すいません。
次回に続く。 ▲
by yanetuki
| 2014-04-03 11:00
| 我が家のギリギリ疎開計画
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2014年 03月 07日
岡山から一人で帰ってきました。
明日は朝から仕事なので手短に。 今までの疎開の時と違うのは二人がかえってくる目星がついていないことと それを僕が比較的歓迎していること。 僕は娘をここに戻したくないと今回一番強く思っている。 だからかもしれないが、今回一番さみしくない。 妻も、もう帰りたくないと言っていた。それりゃそうだ、あれだけ神経使っていた生活から解放されたんだもの。 戻したくはない。 そのための試練はまだたくさんあるけど。 半年限定の新しい住まいはとっても素晴らしかった。 妻は生き生きした。 僕もとても気に入った。 そのせいもきっとあるのかもしれない。 帰りたくない思いが強いのは。 娘は草むらに入る時には妻にお伺いをたてる。 4歳の娘の危機管理に妻は泣いたが僕は頼もしいと思った。 僕らの生きた時代と彼女が生きる時代は残念ながら違うんだと 僕は妻に言い、そして自分に言い聞かせた。 娘には強くなってもらわないといけない。 多少の我がままには目をつぶる。 彼女はきっと僕らよりたくましくなる。 そうでないと困る。 とりあえず、逃がした、そういう感じです。 この先どうなるかわかりません。 何も決めていない。 全ては流動的。 だけどそれは僕ら夫婦にも、時代にも 実はあっているのではないかなと思っていたりする。 今日は、おやすみなさい。 次回に続く。 ▲
by yanetuki
| 2014-03-07 03:24
| 我が家のギリギリ疎開計画
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2014年 03月 04日
岡山へ行く日が決まりました。明日出発いたします。
明けて今日という事になります。 きのうはひな祭りと前夜祭と言う格好になり、妻はピザを焼きケーキを作りました。 確定申告がまだ最後の最後、e-Taxの送信で引っかかっていて、それを片づけなければいけないことを今気づき、違う焦りを感じたまま、ちょっと書きます。 More ▲
by yanetuki
| 2014-03-04 03:32
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2014年 03月 02日
おはようございます。近況報告です。
僕らの意向としてはこの週末に岡山への移動を予定していたのですが、受け入れてくださる方のご事情ができ、今日今現在のところ“待機中”の状態です。 それをいいことにと言っていいのか分かりませんが、この間僕はカウンターパンチを喰らいました。 More ▲
by yanetuki
| 2014-03-02 07:56
| 我が家のギリギリ疎開計画
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2014年 02月 23日
おはようございます。今僕の実家から僕一人で帰ってきました。
出掛け際、娘はちょっと半べそ気味でいつもの挨拶をせずに出て行こうとする僕を見て言ってらっしゃいといいました。妻が寒いけど表に一緒に行く?と聞くと、 寒いと言ってうちのなかへ入っていきました。 僕は少しホッとしました。 きのう午後帰った実家の周辺は、都内から1時間少々であるにもかかわらず、まだ相当の雪が残っていて、まだまだ娘の雪遊びができるくらいでした。娘はうながすと雪遊びすると言って表で僕と出かけたのですが、一緒になって僕の親父まで出てきます。僕の弟も、そしてお袋も出てきました。 しばらく続いたこの家族構成に、ちっちゃな女の子が加わってからほぼ丸4年になりました。 なかなかしてやれない外遊び、もしかしたら娘の為だけでなく全員のためかもしれないと思いながら、黙って僕は同じところの雪を繰り返し、職人のオヤジの使い古したスコップでたださしていました。 娘とオヤジの雪遊び、最後になるかもしれないなと。 僕はこの雪かきの最中に今回実家に帰った目的をはたします。 残って娘を見守るお袋になるべく静かに言いました。 来月から岡山に行かすから。 えっ?というお袋に、僕はゆっくり説明します。 ゴールデンウイークにはこられるようにするよ。 お袋はあんたたちが親なんだから、好きなようにすればいいよといいました。 やっていけんの? わからないとは言えませんので、何とかやっていく、考えていると 僕は答えました。 もしかしたら諦めていたかもしれない孫です。 孫が出来て、性格が豹変してしまったように連れて行くと喜ぶお袋に 僕は我慢してもらう事にしました。 きのうは娘の誕生日パーティでした。 僕の弟が、ベクレルフリーのお店で無理を言ってケーキを頼んでいました。 相変わらずおかずは気にせずおでんだったんだけど。 お袋が二人にもちゃんと言いなさいよと言ったので、 オヤジと弟にも岡山行の事を忘れずいう事が出来ました。 何も言いませんでした。親がそれでいいんならとだけ オヤジが言いました。 ゴメンネと、気持ちの中だけで軽く言っときました。 今妻と娘は僕の実家にまだおります。 午前中は弟とオヤジが一緒に過ごし 午後はたぶん、お袋が掃除のおばちゃんをやっている体育館に 遊びに行くのだと思います。 次回の予定が組めませんのでそうしてもらいます。 我が家は臨戦態勢に入りました。 何を犠牲にし、なにを守るのか、今よくわかりませんが 娘の事を最優先にしたまでです。 ぼくなんかまだ恵まれている。 人にはそれぞれ思いがある。 想像していたいと思います。 次回に続く。 ▲
by yanetuki
| 2014-02-23 09:58
| 我が家のギリギリ疎開計画
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2014年 02月 22日
おはようございます。
今週月曜日に妻は住民票を取りに行き、火曜日には原付バイクの免許の試験を受けに行き、無事合格してかえってきました。 どんなことがあっても運転免許なんて絶対取らないと、妻はずっと言っていたのにです。 そして今日土曜日に僕の実家の相模原に帰り、事情を説明することにしています。 今のところ半年の期間限定ではありますが。 実は、去年秋に岡山の 本来ならすぐにでも行かせたかったのですが、僕の仕事の状況が去年夏ころから芳しくなくなり、家賃の工面にも苦労するようになってしまったため、やむなく、その状況を改善することを優先することにしました。妻は引き続き週3日の夜間のヘルパー巡回のパートを続け、僕は営業活動に動きました。 苦しい状況は続いております。 しかし娘の就園時期が迫っています。といって都内の幼稚園や保育園に通わせる気にはやはりならない。なにしろ全く就園活動していないのだから今更でもあります。 娘を大好きな公園の滑り台で遊ばせてやりたい、幼稚園や保育園に通わせてたくさん遊んでたくさん友達作ってほしいのは、皆さんでも僕のお袋でも誰でもありません。 僕と妻です。 この思いがどんなものか、わかってほしいという弱音は吐かないなんて大人のようなことは言いません。 どれだけ辛いか、想像してほしい。 放射能は恐ろしいという客観的事実に基づいて行かせるのではありません。 放射能は恐ろしいという僕たちの主観的考えに基づいて行かせるのです。 僕らのエゴだという、311後のお袋の言葉に、僕は47年間で最大にして最後の絶望感をお袋に味わったのだけれど、今はその言葉をある面において受け入れられそうではあります。 しかし娘の親は僕らです。娘の判断をヘルプしてやる役目は僕らにあります。 まだ4歳です。来週誕生日です。 妻は向こうで仕事と保育園を探します。住宅の使用可能期間は半年です。 僕はこちらで全力で今の仕事を盛り返す。そして次のステップを見つける。 そうしないと娘に毎日会えなくなるからです。 僕はさびしくて死ぬかもしれないから。 朝起きると娘の部屋着を炬燵で温め洗顔一式とオムツの用意をするのは僕の仕事です。 神棚のお供えを取り換えるのと一緒に、娘の朝食用にバナナとヨーグルトとバターとイチゴジャムを小分けにしておきます。起きてくるまでの時間が僕の時間。 やたら寝起きのいい娘の朝の鼻歌が聞こえてきたら僕は“臨戦態勢”に入る。 オムツ替え温まった部屋着着替えさせ髪の毛とかしひとつ結びする。 さっき用意した朝食を配膳していただきますする。 妻に正確なところきかないといけないけど 僕は料理以外の全ての娘の世話をしています。 あっ、洗濯もしてないや。 たたむけど。 そういう生活を今しているから母子疎開では心配が二つ。 娘の世話をすべて妻がしなくていけないことと 僕は寂しさで死んでしまうかもしれないことのふたつ。 それをクリアするための作戦はもちろんあるけど。 我が家は“臨戦態勢”に入りました。 辛いが面白い。苦しいが明るい。 民主主義とは、自己実現とそのための具体的手段の事を言うのだ思います。 僕は今余裕がないのでそのいちばん基本を必死でやっている。 必死に作戦を練っています。大逆転を狙っている。 勝負は勝たなくてはいけないというと誤解されそうだけれど、 勝つというのはプロセスを大事にする生き方の中では貴重な材料になりうる。 だからプロセス重視でも、勝たないといけない時はある。 メリハリだな。 ちょっと脱線しました。脱線できる余裕に感謝。 去年夏に岡山に行った時現地でお世話になった方から、 僕の仕事についてとても参考になる資料を送っていただきました。 今後の僕の指針になりうるようなものでとても嬉しくありがたいものでした。 半年限定の貸別荘を持ったつもりになればいいのかなと思うと気楽になります。 頻繁に行き来しようと思います。 全てが流動的。 これからの我が家の方針はこれで行こうと思っています。 何日にも分けて書いてます。たぶん話が飛んでると思います。 流動的に読んでいただければ助かります。 僕と妻は今あらゆることに必死です。 娘は天真爛漫でいてくれます。 昨夜妻は相変わらずよく理解しない僕の実家に行くために 徹夜で一泊のための娘の食事含めた準備をしました。まだ寝てます。 当たり前です。 今度の話をしに行きます。そして娘の誕生日パーティーの為です。 これも戦いです。 応援してください。 家族が、親子が、夫婦が、 どんなに素晴らしいものか証明してみせます。 期待してください。 励みになります。 数日に分けて書いた文章を読みなおす時間も律義さも 申し訳ありませんが今は不足しております。お許しを。 革命を足元から始めたい。 次回に続く。 ▲
by yanetuki
| 2014-02-22 09:15
| 我が家のギリギリ疎開計画
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2013年 11月 05日
きのうのよる、僕には珍しく家族会議を開きました。 議題は当然“今後の生活”についてです。 妻との意見交換を行いました。 妻の意向は来年3月までの移住。 そのための準備を進めるつもりであることを確認しました。 僕も移住視野ですが、 若干の時間的タイムラグが現実的には必要だという認識で、 それを妻にあらためて伝えました。 現実をきっちりこなしながら僕は先の目途を建てたいと思います。 僕の目下の視野は2年先。 50歳を人生最後の転機にしようかなと。 今朝布団の中で考えた僕の今の仕事は4つ。 1.移住先現地での妻と娘の受け入れ探し。 どうぞいらっしゃいって言ってくれる人を図々しくも探してみようということ。 2.こちらでの援助者探し。 いいよ、一緒に行ってあげるという気前のいい人を調子に乗って探してみる。 3.今の商売の地道な営業活動。 新しく始めた介護タクシーブログの周知徹底活動含めた日々の具体的営業活動。 4.将来の僕の仕事巻き込んだ生活スタイルの模索。 目標は都合がよく、理想は高い方がいいから、そりあえずぞういうことにして 今日からまたコツコツやります。 次回に続く。 ▲
by yanetuki
| 2013-11-05 11:37
| 我が家のギリギリ疎開計画
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